
弊社の最高技術責任者、板垣伴信です。
多くの方に、なぜ独立したのか?と聞かれます。
その理由は、世界最高のエンターテインメントを、仲間と共に創り続けるのだという決意です。応援してくださる全世界のファンの皆様を揺り動かす、そしてこれから出会う未来のゲーマーの方たちが、心の底から感動する一級品のゲームを創り続けていきたい。
ご存知の方も多いと思いますが、神話に伝わるValhallaとは「選ばれし最強の戦士たちが集う場所」を意味します。すなわち、真の実力を持つ者が、心ゆくまで、思う存分に戦える場を用意したのです。
日本ではゲーム業界だけでなく様々な再編が進んでいます。しかし私たちには、自分達の立ち位置を、相対論で決めようという考えはありませんでした。枠組みを基準とした相対的定義ではなく、自分たちの立ち位置をこそ原点とする絶対的定義によって、いつ、どこで、誰のために戦うかを決めたのです。
誰のためか?
それはファンのためであり、ゲームを輝かせてくださる方々のため、仲間のため、家族のためです。私のこの哲学は過去18年間、揺らいだことがありません。
いま、日本のゲーム産業は、資本の論理により大きくうねり続けています。その行き着く先が明るいのか暗いのか、ここでは語りません。しかし私はその結果が誰の目にも明らかになってから、自分の立ち位置を決めるほど呑気ではない。
Valhallaは決して大きな会社ではありません。しかし少数精鋭とはまさにこのこと。私たちには、最高のビデオゲームを創り上げる才能と経験、そして誰にも負けないという自負がある。
だから、私は自分の信念を貫き続けるために、独立することにしたのです。
今一度、過去を振り返れば、私は30年近くビデオゲームを創ってきました。最初は中学生のときです。ゲームはガンダムのシューティング。仕様は私が決めて、弟がアセンブラでコーディング。私はガンダムとザクのドット打ちをしました。思い出しましたが、最初の仕事はドット打ちだったんですね。
高校・大学の頃には、テレビゲームから少し離れていました。ギャンブルの方が刺激的だったからです。
四角いジャングル(雀卓のことです)で、世間では絶対にかなわない年配の方、ネクタイを締めたおじさんたちを、きりきり舞いさせることに、一人の少年が快感を覚えたとしても不思議ではないでしょう? おかげで都の西北を10年間歌うハメになりましたが。
自分のやりたいことしか出来ない人間ですので、大学を卒業したらプロの麻雀打ちになろうと思っていました。あるゲーム会社の創業者の方に出会ったのは、ちょうどその頃のことです。
「君は大学で何を勉強したのか?」と、その方は私に聞きました。
「ギャンブルです」と答えたところ、間髪を入れず、「くだらん。仕事こそが最大のギャンブルだ。そんなことも知らんのか」と仰られたことを、今でも覚えています。
思えばこの一言が、ゲームデザイナーとしての勝負の道に、私を放り込んだのでしょう。
以来16年に渡り、ゲームを知り尽くした素晴らしい方々とともに、多くのゲームを開発してきました。制作に次ぐ制作、勝負の連続でした。でも楽しかった。
きっとここから先は、時の流れが速いでしょう。
しかし気まぐれな風向きや、潮の満ち引きに一喜一憂するような者はValhallaにはおりません。なぜならば、この逆巻く大海原こそが我らの戦場。
Valhallaに集った最強の戦士たちは、世界が沸き立つゲームを創ろうと、今日も愉快に気炎を上げています。
2010年、私は自らを再定義します。
勝負を知り尽くした、輝ける歴戦の戦士たちを率い、素晴らしいゲームを産み出していく。そして世界中のゲームファンに楽しんでもらう事だけを考えて生きていく。
私にとって、これほど幸せなことはありません。
2010年3月1日
板垣 伴信
好きな言葉:
「今、万感の思いを込めて汽笛が鳴る。
今、万感の思いを込めて汽車が行く。
ひとつの旅は終わり、また新しい旅立ちが始まる。
さらばメーテル。さらば銀河鉄道999。さらば少年の日よ」
松本 零士
| 1967年4月1日 | 東京都で生まれる。 |
|---|---|
| 1985年3月 | 早稲田大学高等学院卒業。 |
| 1992年3月 | 早稲田大学法学部卒業。 |
| 1992年4月 | テクモ株式会社入社。 |
| 2000年4月 | 同社執行役員クリエイティブ第3部部長就任。 |
| 2001年10月 | 同社執行役員Team NINJA部部長就任。 |
| 2004年6月 | 同社常務執行役員Team NINJA部部長就任。 |
| 2006年2月 | 同社常務執行役員ハイエンドプロダクション本部長就任。 |
| 2008年7月1日 | 同社を退社し現在に至る。 |
DEAD OR ALIVE(Arcade/1996年11月) プロデューサー&ディレクター
DEAD OR ALIVE(Saturn/1997年10月) プロデューサー&ディレクター
DEAD OR ALIVE(PS/1998年3月) プロデューサー&ディレクター
DEAD OR ALIVE ++(Arcade/1998年10月) プロデューサー&ディレクター
DEAD OR ALIVE 2(Arcade/1999年11月) プロデューサー&ディレクター
DEAD OR ALIVE 2 Millennium(Arcade/2000年1月) プロデューサー&ディレクター
DEAD OR ALIVE 2(PS2/2000年3月) プロデューサー&ディレクター
DEAD OR ALIVE 2(Dreamcast/2000年9月) プロデューサー&ディレクター
DOA2 HARD・CORE(PS2/2000年12月) プロデューサー&ディレクター
DEAD OR ALIVE 3(Xbox/2002年2月) プロデューサー&ディレクター
DEAD OR ALIVE Xtreme Beach Volleyball(Xbox/2003年1月) プロデューサー&ディレクター
NINJA GAIDEN(Xbox/2004年3月) プロデューサー&ディレクター
DEAD OR ALIVE Ultimate(Xbox/2004年11月) プロデューサー&ディレクター
NINJA GAIDEN Black(Xbox /2005年9月) プロデューサー&ディレクター
TECMO CLASSIC ARCADE(Xbox/2005年10月) プロデューサー&ディレクター
DEAD OR ALIVE 4(Xbox 360/2005年12月) プロデューサー&ディレクター
DEAD OR ALIVE Xtreme 2(Xbox 360/2006年11月) チーフデザイナー&ソフトウェアアーキテクト
NINJA GAIDEN Σ(PS3/2007年6月) エグゼクティブプロデューサー
NINJA GAIDEN Dragon Sword(DS/2008年3月) エグゼクティブプロデューサー
NINJA GAIDEN 2(Xbox 360/2008年6月) プロデューサー&ディレクター
(以上全て テクモ株式会社 開発・販売)
≪ DEAD OR ALIVE ≫
≪ DEAD OR ALIVE 2 ≫
≪ DEAD OR ALIVE 3 ≫
≪ DEAD OR ALIVE Xtreme Beach VolleyBall ≫
≪ NINJA GAIDEN ≫
≪ DEAD OR ALIVE Ultimate ≫
≪ NINJA GAIDEN Black ≫
≪ DEAD OR ALIVE 4 ≫
≪ DEAD OR ALIVE Xtreme 2 ≫
≪ NINJA GAIDEN Σ ≫
≪ NINJA GAIDEN Dragon Sword ≫
≪ NINJA GAIDEN シリーズ ≫
※主な賞のみ抜粋。
写真提供: 週刊ファミ通